和食とはかつて、調理技術や素材で「旬」を味わうものであったが、近年は和食離れが進んでいる。 調理技術の簡便化が加速度的に進み、生活の洋風化も相まって若者の和食離れも進行し、日本国内では今、和食が危機的状況にある。 このままでは純粋な「和食」が食卓から消えてしまうのではないか。自然を尊重する心に基づいた和食の良さを伝えていけないか、と匠は考えた。
素材に関しても「自分で選んだものでなければダメ」と徹底しており、出てくる料理は質も量も一級品。 「本物の一流食材を提供し、日本食文化を次世代に向けて守り伝えていく動きに繋げたい」と言う。 マクロビオティックの考えに基づき「身体に優しい、おいしい料理」を柱として置いている。 地元産の季節の食材を、無駄なくすべて使い切る。 焼いた魚の骨で出汁を取り、提携農家からの無農薬・有機野菜を中心に使うなど、妥協を知らぬ匠のこだわりが、余すところなく反映される。 純粋で職人気質であるため「派手なところに憧れても、自分は地味にしか歩めない」と言うが、 だからこそ匠が奏でる日本料理は、体に優しい「本物の味」になるのではないだろうか。
佳肴 季凛で提供している料理は、匠自ら、 市場や現地へ赴き、自らの目利きで仕入れた 素材の味を最大限に引き出したものだ。 納得した素材がない場合は仕入れないこともあると言う。 「納得した素材でないと、本物の味をお届けできない。だからこそ、妥協はしない。」 この一言に、匠のこだわりが詰まっている。

東京新宿「鮨処多奈何」、しゃぶしゃぶの名店「ざくろ」を経て、
浜松の「舘山寺レイクホテル花乃井」で岸外志氏に教えを受けました。
その後、妻の実家の居酒屋「魚魚家」を継ぎ、平成20年、志す日本料理店
「佳肴 季凛」を開店しました。

手間を惜しむようでは、料理人 失格です。 その手間が面倒だと感じるのなら、料理人とは言えません。 だから、自分は全て手造りにするのです。 そうやってこそはじめて、料理人が料理人でいられるのです。 また、そうやって手間をかけるということは、真心を込めることです。 これは、ものを作ることを生業にした者だけが出来る、唯一無二の特権です。 これほど、尊いものはないと思っています。 それをしたいから、料理人をやっているのです。というより、料理人でいたいから、そうするのです。 自分自身、料理人としては、まだまだだと思っています。だから、自らを板前とは呼ばず、下手前と呼んでいるのです。

かぜはな代表写真

普段食べられないものを、ご提供するのが、日本料理店の存在意義だと、
自分は思っているので、多少無理があっても、ふぐや大間の鮪のようなものを
仕入れるのです。良いものを使いたいのは、単なる職人気質からだけでなく、
富士市にいながらにして、東京でしか食べられないような本物の味を提供することで、日本料理の良さを伝えたい思いがあるからです。
そういう意味では、商売人失格かもしれませんが、商売人である前に、自分は料理人です。そのバランスを取ることは、難しいのですが、だからこそ、工夫のしがいがあるものです。その工夫をするからこそ、料理人は職人です。
そんな職人の心をいつまでも、持ち続けたいものです。