東京新宿「鮨処多奈何」、しゃぶしゃぶの名店「ざくろ」を経て、
浜松の「舘山寺レイクホテル花乃井」で岸外志氏に教えを受けました。
その後、妻の実家の居酒屋「魚魚家」を継ぎ、平成20年、志す日本料理店
「佳肴 季凛」を開店しました。
手間を惜しむようでは、料理人 失格です。 その手間が面倒だと感じるのなら、料理人とは言えません。 だから、自分は全て手造りにするのです。 そうやってこそはじめて、料理人が料理人でいられるのです。 また、そうやって手間をかけるということは、真心を込めることです。 これは、ものを作ることを生業にした者だけが出来る、唯一無二の特権です。 これほど、尊いものはないと思っています。 それをしたいから、料理人をやっているのです。というより、料理人でいたいから、そうするのです。 自分自身、料理人としては、まだまだだと思っています。だから、自らを板前とは呼ばず、下手前と呼んでいるのです。
普段食べられないものを、ご提供するのが、日本料理店の存在意義だと、
自分は思っているので、多少無理があっても、ふぐや大間の鮪のようなものを
仕入れるのです。良いものを使いたいのは、単なる職人気質からだけでなく、
富士市にいながらにして、東京でしか食べられないような本物の味を提供することで、日本料理の良さを伝えたい思いがあるからです。
そういう意味では、商売人失格かもしれませんが、商売人である前に、自分は料理人です。そのバランスを取ることは、難しいのですが、だからこそ、工夫のしがいがあるものです。その工夫をするからこそ、料理人は職人です。
そんな職人の心をいつまでも、持ち続けたいものです。